田舎の生活と都市部の生活って、やっぱ大分違いがあるのかもしれない・・・と思いながら前回は書いていました。
「環境格差」なんて書いてしまいましたが、別に「都会の生活を捨てて田舎に住もうぜ」と言ってるわけではないのです。 ただ、何か自然体験がしたーい!って思ったときに、それを達成するまでに要する時間とか労力とか、田舎で生活する人からみると想像を絶するような大変さがあるかもしれない、とは思います。 逆に、私は博物館に行こうとか、お仕事系のテーマパークに子どもを連れて行こう、とか思うとちょっと苦労しないといけません。 学校や習い事の選択肢も少ないです。 校区内の学校が万一子どもの肌に合わなかったら、相当な悩みになると思います。 「バイオリンが習いたい」と言われても、無理かもしれません。 だから、一長一短でどちらがいいとは言えませんね。 私は暮らすならやっぱり田舎の方がいいけど・・・ でも、子どもにはできるだけ自然の中でいろいろな体験をさせて、いろんな不思議に遭遇してほしい。という願いを持つ親は多いですよね。 だから、自然が豊かなところに住んでいる私が享受できる体験を、街の中でも別の形で受け取ることはできないかなー?と。そういうところに頭を使いたいと思うのです。 このえほん、よかったです。 「ことりの おさら」 絵:叶内拓哉・写真 出版社:福音館書店 親にも子にもハードルが高くなくて、やろうと思ったらすぐできる。 本当に鳥が訪れてくれたら、ちょっと感動だろうなー。 #
by hasamisa
| 2010-02-11 00:02
うちの写真を激写してみました。
私は南九州に住んでおりますが、こちら南国はどこもかしこも梅が満開でございますー。これはうちの池のほとりです。 大きな金木犀の木に夫君お手製のブランコがかけてあります。これまでのところ、私の体重にも耐えてくれます。 子どもたちは、2人、3人と団子になってキャーキャー言いながら、危険な立ちこぎ遊びをするので、そのうち壊れて誰か泣く羽目になるでしょう・・・ バックに見えるのはお茶畑。うちは三方をお茶畑に囲まれております。 庭には神様がおります。(撮っていいんかいな?ドキドキ) 鶏さんとウズラさん達。 うちは自然任せで、温度管理しません。南国と言えども、冬はそれなりに冷えるので、卵の供給は長らくサボり中です。現在、ただ飯喰らいとなっております。そろそろ産んでくれー。 子どもたちは卵の回収を手伝います。時々、ポシャッと地面に食べさせてます。そして私に「こらーーーっ」と言われます。 ここは義父の所有する猟犬達の運動場の中。広くて快適です。 「酢の物つくるから、酢みかんとってきてー。」(カボスだのへベスだの、名前のようわからんものまで、九州にはいろんな種類の酢みかんがあるようです) 「久しぶりに雨がふったね。しいたけとってきてー。」 (収穫してしまったので、ほとんどついてませんね・・・) てな感じの食生活が送れます。豊かですね。 これは猟犬の1頭。この時期は毎日、猪狩りに忙しいですが、こいつは年寄りなので置いて行かれちゃいました。後ろにみえるのは「晩白柚(ばんぺいゆ)」。ザボンの1種らしいです。犬もけっこう大型なのですが、ばんぺいゆの実が子どもの頭くらい大きいので、小柄にみえちゃいますね。 私は結婚して初めて、こういうキング・オブ・田舎みたいなところで生活し始めたので、みるもの全てが珍しく、あらゆることが豊かだなぁ、と感動してしまいます。 交通の便は良いとは言えず、娯楽もありません。 例えば、マックに行こうと思ったら、1時間以上車をとばさないといけない。 でも、子どもが育つ環境を考えると、都市部と田園地帯では「環境格差」があるなあ・・・と感じてしまいます。 どちらが好きかは本当に人それぞれですけどね。 #
by hasamisa
| 2010-02-09 00:01
うちには4人の娘がいます。
一番下の四女(四女、っていう言葉は最近なかなか耳にしない貴重な言葉だねー、とよく言われます)が産まれてまもなく、私はマミ~と呼ばれる人に出会いました。ネット上で。 どうぞこれをご覧になってください。 VISION 子育て中のママだけでなく、社会のあらゆる立場にいらっしゃる方々があらゆる場面で「あ!」と感じてしまうのではないか?と思うお話をされています。 なんだかすごいパワーのある、ちょっと変わった(興味深い、面白い、という意味でね)女性です。 でもそのパワーはグイグイと心に迫ってはきますが、決して力で押し付けるようなforceではないと思います。 もっと、厳しくも温かく包んでくれるような力のように感じます。 私が最初に読みふけったのはこちらのページです。 学力は全米トップ0.1% 秘訣は幼児期の教育! 何度も何度も読み返し、何度も何度も反省させられました。 そして、なんだかおぼろげで先のみえてなかった育児の中心に、大木のような安心感が生まれました。 今思うと、日々あんまり自分の頭で考えてなかったなー。 そして、チルドレン大学というものを受講しました。 一般的な講座という言葉から連想されるような堅苦しいものではありませんが。 あれから1年間。 私の子どもが特別な才女になった、とかいうことはありません。 ただ、私の心の持ちようはずいぶん変化したように感じます。 相変わらず、様々な情報が寄せては返す日常で、あちらへこちらへと揺さぶられますが、「まあ、大丈夫」と思える何かが芽生えたように思います。 そして、今も自分に問い続けています。 あんたの子育てのビジョンはなあに? #
by hasamisa
| 2010-02-08 00:15
動物は癒しの存在として語られることが多いですよね。
なぜ動物は私たちに癒しを与えてくれるのでしょうか? 人と動物との関わりを考えるには、私たちが彼らを家畜として利用するよりもずっと昔までさかのぼらなければならないかもしれません。 つまり、太古の昔、人が原始人として裸同然の暮らしをしていた時代に想いを馳せると、目の前でゆったりと草をはむ草食動物の群れを見るときには、人間もやはり肉食獣の脅威や自然環境の急激な変化を感じることはなく、安心していられたのではないでしょうか。 逆に、このような捕食される側の動物の群れが突然そわそわして辺りを気にし始めたり、落ち着きをなくしてその場からいなくなってしまったら、人もまた心がざわめき、何らかの心の準備をしなければならない状態になるのではないでしょうか。 一説には、このようないわば「原始の血」とでもいうべきものが、癒しや不安の気持ちにつながっているのではないか、と言われています。 ところで、私の職場は動物病院です。 先日、飼い主さんが旅行に行かれるということで、長らく猫ちゃんを預かりました。 猫は環境の変化を嫌う動物なので、よほどフレンドリーな子でない限り、べたべたとなでまわしたりはしないのですが、この子は特別他人を寄せ付けない子でした。 必要以上に触らない、とはいっても、トイレの交換、ケージのお掃除、もちろん食事の管理はしなければならないのですが、簡単にはさせてくれない・・・ とりあえず革の手袋で手先を防御して、タオルやシーツを交換したり猫ちゃんを移動させるのですが、毎回鋭い牙と爪で決死の攻撃にあいました。 理想的にはこういうときも平常心で、テキパキ、サッサと終わらせるのが双方にとってベストなのでしょうが、私にはこれがとても難しい。 毎度毎度、心臓バクバクです。 これは当然相手にも伝わり、お互い余計な緊張を招きます。 とうとう、最後まで仲良くなれず、飼い主さんのお迎えでほっと安心、その後どっと疲れました。 慣れない場所で、よく知らない人にお世話されるのは猫ちゃんにとっても相当のストレスだったと思いますが、それを肌で感じる私にとってもやはり、すぐには心臓のバクバクがおさまらない、相当のストレスでした。 そして思うのです。 動物と一緒に暮らそうと決めたならば、心身ともに彼らに無用なストレスを与えないように心を砕かねばならないな、と。 育児家庭ではなおさらのことと思います。 それなりの環境は整えて食事を与えてはいるけれど、動物は不快感や過度の緊張、苦しみを感じている・・・ 子どもはなんとなくそれをキャッチしているけど、大人は全く気付いていない。 せっかく子どもの情操教育にと動物を家に招き入れても、これではかえって逆効果ですね。 同じことは学校飼育動物や動物園にも言えることだと思います。 動物のことも子どものことも勉強中の身ではありますが、感じたことを書いていけたらいいな、と思います。 #
by hasamisa
| 2010-02-07 00:00
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